ちば家石材店
多磨駅 駅前|倫理研究所契約店
昭和27年、丸山敏雄先生の奥津城の建設工事を引き受けた店です。総会に間に合わせるため連夜の突貫工事で仕上げた——その「ちば家」が、今も駅前にあります。倫理研究所の契約店ですので、供花も墓所の相談も、まずここに声をかけるのが筋です。
倫理運動創始者 墓所参拝案内
は じ め に
墓参のことを、古くは「掃苔(そうたい)」と呼びます。墓石に生した苔を掃き清める――ただそれだけの意味の言葉です。拝礼の前に、まず石を拭き、水を注ぎ、周りを整える。この案内も、その順序にならって組み立てました。
丸山敏雄先生は、明治二十五年に福岡県築上郡合河村字天和(現在の豊前市天和)に生まれ、昭和二十年九月三日に倫理研究所を創立、昭和二十六年十二月十四日、東京都武蔵野市境の自宅で五十九年の生涯を閉じました。その墓所は、東京都立多磨霊園にあります。
墓所は神道です。線香や焼香ではなく、二礼二拍手一礼で拝礼します。仏式を思い浮かべて来られる方が多いので、作法だけは先に頭に入れてお出かけください。詳しくは参拝の流れに記しました。
倫理研究所の会員でなくとも、参拝は静かに行うかぎり妨げられるものではありません。ただし、ここは今もご遺族と関係者が手入れをされている、生きた墓所です。周囲の墓所への配慮を忘れずに。
墓 所
多磨霊園は大正十二年開園、日本で最初の公園墓地です。面積は約百二十八万平方メートル(東京ドーム約二十七個分)。園内は「〇区〇種〇側〇番」という住所で区切られており、この番号さえ分かれば必ずたどり着けます。
墓石(奥津城〈おくつき〉)は茨城産の筑波花崗岩。竿石は高さ212.2センチ(7尺)、幅93.3センチ、厚さ91.5センチ、重さ5,625キロ——同じ多磨霊園に眠る東郷平八郎元帥の竿石より少し大きく、園内最大級といわれます。台石は6尺角の一枚岩。正面の文字は、長男・丸山竹秋会長の筆です。
昭和26年12月14日に先生が世を去ると、翌27年2月、百日祭を前に有志がこの墓所を求めました。奥津城の建設は全会員への呼びかけで始まり、募金は当初予算の200万円をはるかに超えて集まります。工事は多磨駅前の石材店「ちば家」が引き受け、総会に間に合わせるため連夜の突貫工事となり、前日にようやく完成——工費は360万円に達しました。
行 き 方
JR中央線の快速で「武蔵境」へ(約35分)。武蔵境で西武多摩川線に乗り換えて「多磨」下車(約7分)、正門(表門)まで徒歩6〜7分です。新幹線で東京駅に着いた場合、中央線ホームは駅の一番高い場所にあります。乗り換えに10分ほど見てください。
注意:中央特快・青梅特快は武蔵境に停まりません。誤って乗った場合は三鷹で降り、後続の快速で一駅戻らず先へ——三鷹の次が武蔵境です。迷ったら「快速・高尾行き」等のオレンジの快速に乗れば確実です。
電車の場合:京急線で「品川」へ(約15分)、JR山手線で「新宿」へ(約20分)、中央線快速で「武蔵境」へ(約20分)、西武多摩川線で「多磨」下車。乗り換えは多いものの、本数が多く時間が読めます。
リムジンバスの場合:羽田空港から「調布駅」行きの空港連絡バスがあります(所要約1時間〜1時間35分・時間帯により変動)。調布駅からは京王線で「多磨霊園駅」へ出てバスに乗り継ぐか、タクシー(約15分)が楽です。荷物が多い場合や、乗り換えを減らしたい場合はこちら。渋滞の影響を受けるため、帰りの便は時間に余裕を持ってください。
京王線の「多磨霊園駅」は、霊園の最寄り駅ではありません。駅名に反して、正門まで徒歩25分ほどかかります。最寄りは西武多摩川線の「多磨駅」(徒歩6〜7分)です。京王線方面から来る場合は、多磨霊園駅から京王バス「武蔵小金井駅南口行き」に乗り、「多磨霊園表門」で降りてください。
正門(表門)前にバス停「多磨霊園表門」があります。しおり記載の経路は三通り——①武蔵境から西武多摩川線(前項)、②京王線「多磨霊園駅」から武蔵小金井駅行きバスで「霊園表門」下車、③JR中央線「武蔵小金井駅」北口から多磨霊園駅行きバスで「霊園表門」下車。園内中央のバス通りを走る路線もあります。
園内は道幅が広く、車で墓域内まで入れます。駐車場は正門・小金井門ほか園内各所にあり、いずれも無料です。ただし彼岸とお盆の時期は園内が大変混み合います。
広大ですが、区ごとに案内図が立っています。区の入口の案内図で「種・側・番」を確認してから墓列に入ると、迷いません。水道と柄杓・手桶の置き場は園内各所にあります。
遠方から一泊で来る場合、宿は調布・府中・武蔵境・吉祥寺あたりが便利です。いずれも霊園まで30分圏内で、羽田へのバス(調布・府中発)にも接続します。都心に泊まるより朝が楽です。
花 を 買 う
多磨駅の周りに花屋が二軒、正門の手前に一軒あります。桶も柄杓も現地で借りられるので、実のところ手ぶらで降り立って構いません。
多磨駅 駅前|倫理研究所契約店
昭和27年、丸山敏雄先生の奥津城の建設工事を引き受けた店です。総会に間に合わせるため連夜の突貫工事で仕上げた——その「ちば家」が、今も駅前にあります。倫理研究所の契約店ですので、供花も墓所の相談も、まずここに声をかけるのが筋です。
多磨駅 西口 徒歩1分/正門から徒歩6分
駅の西口を出て右折、突き当たりの黄緑の看板が目印です。山形家和中石材店の敷地内。一輪から売ってくれる小さな店で、霊園の場所を尋ねると親切に教えてくれます。かつて多磨霊園正門の脇にあった「大森茶屋」の流れを汲む店です。
供花の代行について。三ツ葉屋にはかつて霊園内への供花代行の案内がありましたが、現在は行っていないようです(会員の方からの情報)。ご自身で訪問して花を求める分には、問題なく利用できます。
多磨駅 徒歩2分
駅前のもう一軒。年中無休で、朝が早い日は8時半から開いています。「霊園に行くときはいつもここで買う」という常連が付いている店です。
正門 手前
正門に着く直前にあります。年中無休。
花を買うと手桶と柄杓を貸してもらえます。箒の貸出もあるとのこと。ここで花を買えば、掃除道具ごと墓所へ向かえます。
榊について。霊園の門前にある花屋は、どこも仏花と線香が主力です。丸山先生の墓所は神道ですので、榊を求める場合は事前に電話で在庫を確認するか、取り寄せを相談してください。三ツ葉屋は神社の紹介も扱っているため、神道の供物についても相談に乗ってもらえる可能性があります。※各店の榊の取扱いは未確認です
碑 を 読 む
墓所に立つ石碑は「頌徳碑(しょうとくひ)」。頌は「たたえる」。故人の徳を頌え、後の世に伝えるために建てる碑です。
頌徳碑は当初、奥津城完成後の二期・三期工事として計画されていました。ところが会員の募金が予算を大きく超えて集まったため一挙に建設する運びとなり、昭和28年5月5日——先生の誕生日を期して完成しました。碑文は「竹陵(ちくりょう)丸山敏雄先生ハ明治二十五年五月五日……」と、先生の号から始まります。裏面には門弟たちによる建立の由来が刻まれ、日付は同じく昭和28年5月5日です。
碑文の起草は、長男の丸山竹秋(まるやま・たけあき 1921〜1999)。父の死後、倫理研究所の理事長を継ぎ、45年にわたって倫理運動を率いた人です。つまりこの碑の前に立つとき、目にしているのは石に刻まれた略歴ではありません。父の事業を半世紀近く背負うことになる息子が、その門出に父をどう頌えたか——その言葉です。読み飛ばさず、最後まで目で追ってみてください。
令和4年11月、生誕130年を記念して、福岡県豊前市天和の生家の敷地にも頌徳碑が建立されました。高さ2メートル、幅4メートル、重さ11トン。竿石は大分県産、台座は福岡県産の石です。刻まれているのは、多磨霊園の碑と同じ竹秋会長起草の碑文。生を受けた九州の天和と、59年の生涯を閉じた東京の墓所と——先生を頌える同じ言葉が、いま二か所に立っています。
創立者墓所の横手奥、3区31側には、会員功労者顕彰碑と職員墓碑が昭和33年に建てられています。創立者墓所から西へ数十歩、小道を挟んだすぐ隣です(地図で見る)。刻まれた「至誠愛和」「常居其全(常に其の全きに居り)」の文字は、いずれも丸山敏雄先生の筆——先生の遺墨です。創立者に手を合わせて終わりにせず、こちらにも足を運んでください。丸山竹秋会長も、この墓所に眠っています。
碑文の全文は本サイトには載せません。現地でお読みください。なお本頁の建立経緯は、倫理研究所発行「創立者丸山敏雄先生ご墓所のしおり」に拠ります。
参 拝 の 流 れ
丸山敏雄先生の墓所は神道です。線香や焼香は用いず、神社と同じく二礼二拍手一礼で拝礼します。仏式の作法とは異なりますので、初めての方はご注意ください。
参 拝 に 選 ば れ る 日
命日。倫理研究所および各地の会で追悼の行事が営まれます。
生誕日。令和四年には生誕百三十年を記念して、生家に頌徳碑が建立されました。
倫理研究所の創立記念日(昭和二十年)。
園内は最も混み合いますが、手入れの行き届いた時期でもあります。
桜。園内には約千六百本のソメイヨシノがあり、バス通りの並木は約一キロに及びます。
行事の日程・参列の可否は年によって異なります。倫理研究所または最寄りの倫理法人会・家庭倫理の会にご確認ください。
あ わ せ て 訪 ね る
丸山敏雄先生の生誕地。生家は倫理研究所創立六十周年(平成十七年)を記念して復元されました。令和四年十一月には、敷地内に頌徳碑(高さ2メートル、幅4メートル、重さ11トン)が建立されています。竿石は大分県産、台座は福岡県産の石で、碑文は多磨霊園の頌徳碑と同じく丸山竹秋会長の起草によるものです。隣接して天和研修センター(福岡県豊前市大字天和392-1/0979-88-3113)があります。
センター内の記念館で、丸山敏雄先生の遺品が公開されています。開館日時は倫理研究所にご確認ください。
昭和二十六年十二月十四日、先生が生涯を閉じた自宅のあった地です。
墓 参 の 、そ の 先 へ
墓参は、丸山敏雄先生が説いた「純粋倫理」の実践のひとつです。その実践リストの六番には、こう記されています——「亡き家族や祖先に、朝夕のあいさつをする。お墓が近くにあれば、週に一度とかの墓参の実践もお薦めします」。朝起き、あいさつ、返事、後始末……墓参とともに日々の暮らしの中で行う十五の基本を、別ページにまとめました。あわせて、純粋倫理を凝縮した『万人幸福の栞』十七ヶ条もご覧いただけます。
思 想 に 触 れ る
墓所を訪ねたあとは、その思想にじかに触れてみてください。『万人幸福の栞』『人類の朝光』『純粋倫理原論』など、先生は59年の生涯に数多くの著述を遺しました。安産・育児・教育から、経営・短歌・書道、純粋倫理の原論まで——主な著書を刊行年順にまとめました。
さ ら に 知 る
丸山敏雄先生が、いつ、どこで、何をした人なのか——誕生から永眠までの歩みを略年表にまとめました。また、その生き方や人柄に迫った伝記・評伝を関連書籍として紹介しています。墓所を訪ねる前後に、あわせてどうぞ。